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ネット界の座敷童を目指します
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マザーテレサだったっけかな、確か
「思考に気をつけよ、それはいつか口に出るから」
とか何とか言ってたな
画像は関係ありそうで無関係な例





例によって単価の安い名刺入力のお仕事のお話

仕事上、色んな名刺を見ることになってるわけだが、その中にはなんじゃこりゃっていう変わった名前が記された名刺が結構あるので驚かされる
しょっちゅう訊かれるのがいい加減うざいのだろう、最初っからフリガナ振ってるものもあったりで、いやはや自らの名前とは言え苦労が絶えないんだろうなと要らぬ思いを馳せつつキーボードを引っ叩いている

変わった名前、というからには、うむむと唸らされるものもあれば思わずぷっと吹き出してしまうようなものもあったり、まあ色々あるもんだなと思う
唸るだけならまだいいが、吹き出しそうになるような名前の名刺を実際に差し出された時、どれだけの人がそれを堪えることが出来るだろうか

というか、絶対に堪えなければならない
人の名前で笑う、それは即ちその人の人格を嘲笑うことに等しいからだ



人名とは、この世に生まれた人が一番最初に得るべきものであるが、あいにくその選択肢までは与えられていない
よって人は、好きと嫌いとに関わらずその付与された名前を携えさせられて、この娑婆世界を渡り歩かなければならない宿命を生まれながらに負っている
なるほど後日役所に届け出れば一応戸籍上の改名は出来るが、それでも生まれて一番最初に付けられた名前は、終生に渡ってその人を縛る軛となって残り続けるのだ

言ってしまえば「自分ではどうすることもできない自分固有の識別番号」みたいなものを、たった一見されただけで笑い飛ばされたとしよう
するとその人はどんな反応をするだろう?

自嘲か?
怒るか?
それとも無視するか?

殆どの人がこれら3つのうち一つの反応を示すのではないだろうか?
それが自嘲や無視ならまだいい、それらは諦めから来る反応だからだ

問題はそれが怒りであった時である
なぜならこれは名前に対する「どうにかしたいのにどうにも出来ない」という鬱憤を、たったの一見で刺激されるからだ
それは恰も、ぱんぱんに膨らみ切った風船を、ほんの数ミリの細い針で軽くでもつっつかれるようなものである

そんな事したらどうなるか、もちろん勢い良く破裂することになるだろう
風船なら破裂して終わりだが、人間はそうはいかない
そのエネルギー全てを破裂させた張本人にぶつけなければ贖われることは決して無い
罷り間違えば命だって奪いかねない

人の名前を笑う、それは実は命を賭けて行うべき愚行なのだ

大抵の人間はそれが判っているから、何とか寸前で留まろうとする
笑う方も、笑われる方もだ

ところが、これが判らない人がいる
特に笑う方に顕著である

「思ってても口に出さなきゃいいんでしょ?」

そう、口に出さなければいい
だけどここで冒頭のマザーテレサの諫言を思い出して欲しい

「思考に気をつけよ、それはいつか口に出るから」

普段からそういうナメた態度でいる輩がいる
こういう輩は大概下らない理由で命を落としている
私個人的には、その理由の殆どは舌禍だと思っている

そもそも何故舌禍が起きるのか
どう控え目に考えても、常日頃からそういう発言に至りかねないような思考を抱いているからだとしか思えないのだ
「面白い人の名前を見聞きしてもそれは笑っても良い」
という危険な思考を

この長文をどれだけの人が目にするか分からないがくれぐれも考え直して欲しい
下らない舌禍で命を落とす前に

人の名前で笑うのは絶対にやめたほうが良い

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ここ最近、撮影された名刺をデータとして一定フォームに入力するという仕事を請け負っている
かれこれ一ヶ月が経ち、色々慣れてくると、その名刺の持ち主の「クセ」が透けて見えるようになる

例えば、純白という極めてシンプルな背景に所属先・役職・姓名・住所・電話番号・メールアドレスを実に簡潔に記された名刺は、文句無しの誠実さと良識を弁えた人を表すものと思われる一方で、やけに綺羅びやかでそのくせ知りたい情報がすぐに判らない・見つからない名刺は、単なる社交辞令で名刺を配っているだけで実は顧客を選んでいるのだとの思惑が見え隠れしているようなものも
さらには「これは名刺なのか?」と首を傾げたくなるほどに凄まじい量の肩書と資格が羅列され、もはや最初っから読ませる気の無い挑戦的なものまである



さっき打ち込んだとある名刺には驚かされた
表にはゴテゴテした大サイズフォントで〇〇コンサルタントと名乗り、それだけならまだ良かったが裏にはウリ文句とこれまでの生涯とこれまでに獲得した資格の一覧がびっしりと書き込まれているのである
顧客の立場からすれば正直そんなものどうでも良く、ウリとなる業務さえやってくれればそれで良い筈なのだけど、この者はどういう考えか「とにかく自分はこれだけ出来るんだゾということをアピールすれば勝手に仕事はやってくるもの」と考えているように見える

なるほど今は先が見通せない時代だから、相手は出来るだけ「仕事が出来そうなコンサルタント」を選ぶという需要は確実に発生するわけで、となるともう何でも良いから「釣り餌」をぶら下げてさえおけば後は勝手に向こうから食いついてくる、ということなんだろう
そんなことを本気で考えてこんな雑多な内容の名刺を拵えたとすれば、随分と顧客を舐めていると言うかコンサルティングという仕事を軽く考えていると言うか、そもそも世の中をバカにして見下していると勘繰らざるを得ない



もしワシ自身がコンサルティングを必要としている顧客だったら、こんな落書きだらけの名刺をバラ撒くようなコンサルタントには絶対仕事は頼まない
名刺というのはその者の心の内を書き写す鏡と考えるからだ
シンプルに必要な事項だけを簡潔に記すのは、その者に隠しだてすべき疚しいところが無いから
逆にこれでもかこれでもかとぐちゃぐちゃ書き連ねるのは、その者の疚しいところを覆い隠そうとする意図があるから

どんな仕事でも、まず信頼関係を構築するところから全ては始まる
誰しもどこの馬の骨とも判らぬ見ず知らずのボンボンに大枚叩きたくなんか無いはずである
名刺とはまさに自分がこの「どこの馬の骨」であるかを赤裸々に告白し、最初の信用を得るべき大事なツールだ
その信用を得るにはまず「自分が相手にとって如何に無害か」を訴求するのが早道である
というか「自分が他人にとって無害かどうかは他でもない自分自身が一番良く知っている」わけで、明らかに人畜無害であると自覚しているなら、相手に伝えるべきは自分の所属と役職と名前だけで良い
これに対し、自分が相手に仇為す存在であると解っているならまずすべきは「如何に自分は敵では無いか」の訴求であり、それが件の「資格の羅列」や「訊いてもいないその者の生涯」となって現れる
つまるところ「敵では無いアピール」が先行し過ぎて、肝心の信用を得る努力が後回しになってしまっているという、もう本末顛倒とも言うべき余計な手数がここで発生してしまっているのである
世に蔓延る詐欺師は概して綺羅びやかで美味いことだけをべらべら喋りまくるのは誰しも知っていることだろうし、そんなものに引っ掛かるのは余程の純粋無垢かただのバカなんだろうと嘲笑うことだろう
ところがさにあらず、詐欺師というものは割とすぐそこにいるもので、配られた名刺を見ればそれは一発で判る


仕事が欲しいのか欲しくないのか=信用を得たいのか得たくないのか

名刺入力という仕事は、そうした資本主義社会の闇が透けて見える、大変おもしろい仕事だ

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プロフィール
HN:
力タカ夕
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49
性別:
男性
誕生日:
1974/08/27
職業:
睡眠障害からのタクドラ復帰
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