ネット界の座敷童を目指します
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その5はこちら。
バスに揺られ、網走市街地の南西にある天都山山頂に向かう。オホーツク流氷館はそこにあった。朝早い所為か乗客は自分を含めて数人程度で、流氷館も開館直後で、観光客はまばらであった。 氷点下15℃の環境下で保存されている実際の流氷、キタキツネやゴマフアザラシの剥製、そして流氷の妖精と言われるクリオネの飼育水槽など、慰撫の用にはまあまあ適していると思われた。 一通り展示物を見終え、屋上にオホーツク海が望める展望台が設けられていると言うので登り、そこでワタクシは息を呑んだ。 何ということだ。先程の釧網線の車窓からは望むべくもなかった流氷の欠片らしきものが、水平線の向こうに見て取れるではないか。 しかも今というタイミングを狙ったかのように、海から冷たくも心地よいオホーツクの風が吹き出してきた。 間違いない、これは見れる! 確信を強めたワタクシは、ここで砕氷船に乗ることを決意したのである。 * とはいえ、午前中の便は既に出航したあとで、次の便までにまだまだ時間があることが判明。そこで、流氷館より下の斜面に広がる「博物館網走監獄」に収監されてみることにする。 実は数年前の夏にもここを訪れたことがあるが、雪と氷に塗れた同監獄を見るのは初めてである。細かい説明や感想は他のサイトやブログに譲るとして、とりあへづ当時撮影したものをペタペタ貼っていく: ちなみに、最後の写真に写っている人物は、明治時代の第2次〜第4次伊藤博文内閣にてそれぞれ農商務次官・農商務大臣・司法大臣を務め、さらには日露戦争の影の立役者でもあった金子堅太郎。実は北海道開拓使を語るときに欠かせない「タコ部屋労働」を奨励した人物としても知られている。当時彼が北海道開拓を建白した「北海道三県巡視復命書」における次の文言(要約)は余りにも有名である: 「もともと彼らは暴戻の悪徒であって、尋常の工夫では耐えられぬ苦役を充て、これにより斃れても、監獄費の支出が減るわけで、万やむを得ざる攻略なり」 さてめでたく監獄より出所し、再びバスに乗り込む。 終点の砕氷船のりばでは、既に次の便の船が接岸していて出港時刻とワタクシを待ち受けていた。 船内とデッキはそれぞれこんな感じ。意外と外国人が多い。 あまり広くない船内のためか、あるいは皆もこもこした防寒着を着込んでいるためか、思ったより窮屈な印象。 出航。進行方向左手には能取岬。 鉛色の海面は見るからに寒々しく、時折流氷の成り損ないみたいな薄い氷が港内に浮かんでいる。 航行すること約15分・・・ 船内にどよめきが響く。 氷、氷、氷。 鉛色の海面を夥しい数の白い氷が覆い尽くしているのである。 これ以上の説明はいらないだろう。 正味1時間。満足して余りあるクルージングだった。いやあ見れて良かった良かった。 三たびバスに乗り込む。網走駅からこの列車のお世話になるためである↑ 「流氷特急 オホーツクの風」だ。ここ網走と札幌を5時間あまりで結ぶ。 車内はこんな感じ。床面が嵩上されており、天井まで側窓が回り込んでいる。そしてその天井からは液晶ディスプレイが吊り下げられている。 定刻通りに網走駅を出発すると、車窓は直ちに雪原に変わった。 網走管内(現在はオホーツク総合振興局管内)最大の都市である北見を高架で駆け抜け・・・ 「見張りをするところ」というアイヌ語が由来の遠軽で進行方向を逆に変える。 なのでこの画像では、最初の車内画像とは逆の位置に液晶ディスプレイがある。座席の位置はそのままで、向きが逆になっているためだ。 このあたりまで来るとすっかり日も陰り、外は真っ暗だ。 所定通り、札幌に到着。ホームは人でごった返していた。 何度見ても札幌駅の巨大さときらびやかさにはため息が漏れる。道内の多くの人が札幌を目指すのも無理からぬ事と思えた。 ここからは、22:00発青森行きの夜行急行「はまなす」に乗り継ぎ、帰途に就く。 まだ3時間ほど余裕があったので、夕食がてら、夜の札幌をそぞろ歩くことにする。 時計台、テレビ塔。赤レンガ庁舎。そして雪と氷。 北の大都会は何度見ても不思議である。 それでも時間が余ってしまったので札幌駅に戻り、改札を抜けて構内に入った。 一角には巨大なストーブが煌々と焚かれていて、冷え切った体を温める旅行客や通勤客が群れをなしていた。大きな液晶テレビも置かれており、列車待ち合わせには良い時間つぶしとなってくれた。 発車時刻が迫ったのでエスカレーターでホームに上がると、ちょうど「はまなす」が入線してきた。今回の北の旅もいよいよ終焉が迫っている。 この「はまなす」にはこれまで何度もお世話になっている。長期休みに合わせて発売される「北海道&東日本パス」では、札幌青森間を結ぶこの列車の自由席に乗れるからだ(今夏からは急行料金が別途必要になった)。 しかし、今回使っているきっぷでは、指定券を別途確保することで同列車の指定席にも乗れる。その指定席車両というのが「ドリームカー」と呼ばれるもので、自由席のそれとは比べものにならないほどグレードが高いのである。 背もたれはエラい倒れっぷりで、その上シート自体もフカフカで何とも気持ちが良い。定刻通りに出発して線路のジョイントを刻む音とも相まって、あっという間に眠りの世界に入ることができてしまった。 画像5枚目は露出の失敗ではなく、車内が減光されたためである。 翌朝到着した青森で特急「つがる」に乗り換え、八戸で新幹線「はやて」に乗り継ぐ。 数日ぶりに見る東京と地元の風景。 これにて流氷紀行は終了。 長いことお付き合いいただき、ありがとうございました。 加えて、長らくの放置、誠に申し訳ありませんでした。 その1から続編を楽しみにしてくださっていた読者の方々にお詫び申し上げます。 PR |
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