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ネット界の座敷童を目指します
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その4はこちら


 宿泊したホテル「パルーデ釧路」を暗いうちに出立。快適でございました。
 夜も明け切らない薄暗い中、ガッチガチに凍結した路面を歩くのは、ただ恐怖でしかない。釧路駅までたった3分少々の道のりだが、ツルハシが欲しいところである。
 もちろん理由はある。5:59発の釧網本線始発に乗りたかったからだ。


 この日の朝の気温は氷点下16℃。凍てつく寒さの釧路駅ホームで、夥しい湯気とアイドリング音を上げながら、キハ54系の網走行き列車が発車を待っていた。
 白い白い釧路湿原を眺めつつ、網走までの3時間に及ぶ旅路が、これから始まる。

拍手[2回]



5:59。定刻通りに発車。ピィーという独特の甲高い汽笛を上げる。


 釧路市街地は狭く、すぐに雪原がその顔を覗かせた。空も白み始める。
 軽やかに飛ばしつつこまめに停車し、うとうとしかけたころに細岡駅到着。
 ここで対向の始発列車と行き違いの為暫く停車。


 電柱や電線すらも見れなくなり、蛇行する釧路川が寄り添う頃、塘路に到着。


 真っ白な湿原の向こうには雄阿寒・雌阿寒の山々が聳え、写真には撮れなかったが一羽の丹頂鶴が視界を横切った。
 列車は時々減速をする。観光の為に速度を落としているのかと思えばそうではなく、エゾシカがたびたび線路を横切る為に、その都度減速しているだけだった。


 五十石を過ぎ、標茶でまたも長時間停車。何もない車内に居るのも退屈なので外に出るも、日が昇ったばかりで相変わらず凍えるような寒さ。たまらず車内に戻る。
 次の磯分内のあたりからうとうとし始め、その後暫く記憶が飛ぶ。


 意識が戻ったのは、進行方向反対側よりオホーツクの海と知床連山が望めた頃。
 すぐに知床斜里駅に滑り込み、ここで乗客の大半が入れ替わる。
 反対側のホームには「流氷ノロッコ号」が網走に向かうべくその準備をしていた。


 進行方向左手の車窓も負けてはいない。何処までも続く大雪原と雄々しく構える斜里岳。


 しかし、乗客の興味はやはり右側の車窓。オホーツクの寒々しい海原に浮かんでいるであろう流氷に、耳目もカメラも向けられる。
 だが、この時点で流氷はまるで見ることが出来ず、「あーないねー流氷」「なんだガッカリー」などという嘆きの声がちらほら聞かれた。
 事実私も事前に携帯Webで調べた限りでは、この先の網走から砕氷観光船に乗れても流氷は見られない旨が記されていた。流氷の浮かんでいないオホーツク海になど用はないので、釧路発車時点で進行方向右側に席を取らず、左側の釧路湿原を望める席を取ったと言うわけなのである。

 ……そう、この時点までは。


 止別北浜藻琴と、こじんまりとした木造駅舎を持つ駅が続く。
 ここに挙げた駅にはそれぞれラーメン店や喫茶店などが入居している。寄ってみたかったがまだ朝早く開店していないことと、一度降りてしまうと次の列車を捕まえるのに2〜3時間待ちは当たり前の土地なので、効率を考えるととても立ち寄れない。今回は涙を呑んで見送ることにした。


 かくして釧路より3時間強をかけて、やっと網走駅に到着。
 反対側のホームには札幌行き特急の「オホーツク」が停まっていたが、このまますぐに札幌に引き返しても面白くない。


 せっかく観光地が豊富な網走に来たのだからと、駅前左手のすき家の前にあるバス停から乗れる網走バス「市内観光地巡り線」に乗り、天都山にあるオホーツク流氷館を目指す。流氷が見られないのならせめて、という自分への慰撫の意味も含めて。



 そして事態はこの後急展開する。
 まだまだ続く
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