ネット界の座敷童を目指します
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この正月は何をしていたのかと言えば、唐突に北の大地を踏んでいた。
ということで新年あけましておめでとうございます。 12/30に当地横浜を出発し、乗り継ぎ乗り換えを繰り返し、青森を経由して12/31早朝に札幌入り。左の画像はそのとき乗車した夜行列車「はまなす」。 使用したのは「北海道&東日本パス」という10000円で5日間有効の普通列車乗り放題切符である。実はこの切符では、自由席に限られるが急行列車であるはずのこの「はまなす」に乗れてしまうのである。 その所為かどうか、青森駅入線1時間前には既に席目当ての長蛇の列が、猛烈に凍える青森駅のホームに延びていたのだった。 青森駅発車は22:45。翌朝6:07に札幌到着。 当初からこの日は、札幌市内とか小樽とか、何度も北海道に足を運んでいるくせに中々回れなかったこの両都市を、自分の足(というかJRと地下鉄)でじっくりと巡ってみることにしていた。 折しもこの日は道内全域大荒れの天候で、札幌駅前はごらんの通り。いつもならきらびやかなステラプレイスが、この日はビル街を傲然と吹き抜ける猛吹雪に霞んでいた。 札幌でとにかくやってみたかったのは、全国でここだけというゴムタイヤ式の地下鉄に乗りまくる事である。 開業に当たっては当時の運輸省から言われた「そんな所に地下鉄を走らせて熊でも乗せるつもりか」という嫌味に対し、当時の札幌地下鉄の建設責任者が「金さえ払えば熊でも乗せる」と言い放った事は余りにも有名であるらしい。 早速地下鉄さっぽろ駅(←地下鉄の場合「さっぽろ」が正式名)にて1DAYカードを購入し、いきなり南北線の終点真駒内へ飛んでみるが、駅前は何もなく、ひたすら目に飛び込むは夥しい量の雪、雪、雪! 駅前に乗り入れるバスや自家用車は見るからに運転が大変そうで、真直ぐ走らせることすら困難であるようだった。車でさえそんな有様であるから、徒歩なんてとんでもない。早々に退散する事とした。 南北線と言えばここを外す訳にはゆくまい。ということで南平岸駅……と聞いてピンと来た人は、よほどのファンか重度の馬鹿か、どちらかだと思う。 今でこそ平凡な駅名であるが、かつて「霊園前」という聞くからにおどろおどろしい名前であったことを知る人はどれだけいるだろうか。って何でそんな事知っているんだ自分。 onちゃんのお家。 彼は今年で何歳になったんだったっけ。 しかしその後は寝入ってしまい、気がつけば反対側の終点・麻生駅に。 また同じ路線で札幌に戻ってもさすがに面白くないので、麻生から徒歩で辿れる新琴似駅から学園都市線に乗り込む。 それまで加速の鋭い地下鉄に乗っていたので、この学園都市線で使われているディーゼルカーの速度がひっじょーに遅く遅く感じられた。グワーンと盛大にエンジンが唸りをあげるのだが、速度はさっぱり上がらない。 ここで時刻はすでに10時を回っていた。ますます風は強くなり、雪は横殴りに吹き付ける。両目に細かい雪の粒子が飛び込む。寒いというよりも痛い。こりゃたまらんと思いつつ、これまで中々写真に収められなかった道庁赤煉瓦庁舎とテレビ塔、そして時計台をフレームに収めるべく、アホみたいな暴風雪の中を大通公園に向かって歩き出す。 時計台、北海道庁、テレビ塔、そしてApple Store Sapporo。 さすがに帰りは大通駅から再び地下鉄に乗り込みました。酷過ぎ。 11時を回り、歩き通し&地下鉄乗り通しでさすがに足が棒になってきた。 腹も減って来たので、札幌駅隣接エスタ8Fにある札幌ラーメン共和国で腹ごなし。 旭川「梅光軒」の正油ラーメン。 んまい。 ていうか、こんな大晦日に営業していてくれた事に感謝。 ではでは小樽へ、と勇んで向かうが、小樽駅と手宮線跡を撮影した所で何とまさかの電池切れ。 こういう時に限ってコンビニは見当たらず、結局小樽運河・北一硝子・メルヘン交差点という小樽観光三大聖地を悉く写真に収め損なってしまった。 しかしながら北一硝子は中々収穫であった。再来年当たりに還暦を迎える新潟の叔父や、間もなく還暦であるはずの実父へのプレゼントとして、ここで制作された晩酌セットなんかを贈ってあげても良いかなと考えることが出来たからである。 長くなり過ぎたので次へ。 PR |
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