ネット界の座敷童を目指します
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 かねてより世間を騒がせていた茨城県常磐自動車道上に出没した某サイコパス煽り屋が、事件発生から約1週間で大阪で逮捕された 茨城県警のみなさん、この盆休みにわざわざ大阪まで出向いての検挙、誠にご苦労さまである 「常磐道「あおり運転」指名手配の男を大阪で逮捕」 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190818/k10012039671000.html 煽り運転自体は何もこの事件に始まったことではなく以前から繰り返し公道上で発生していた、いわばありふれた事件なのであるが、この事件だけがことさらクローズアップされたのは、
しかもこのサイコパスは茨城だけではなく愛知や静岡でも同様の煽り運転を繰り返し、その上煽り運転に使用した乗用車は何とディーラーから数日間の約束で貸し出された代車ということも判明し、その返却期限すらも平気で反故にし、事件が公になったあたりで代理人を通じてやっと返却されたという、もはや日本社会をあまりにもバカにして見下しているとしか思えない振る舞いも明らかになり、日本中からこのサイコパスへの非難の声が高まっていた そんな声の中、ちらほらと聞こえてきたものがこれ: 「煽り運転は煽られる方にも原因がある」その理由として:
なるほどそれは確かにわかる というか自分自身もそういうドライバーに対しては正直怒りの感情を禁じ得ないし、徹底的に煽り倒してやろうかとさえ考えてしまうし、何より交通の邪魔だし渋滞や事故を誘発する危険を孕むから、そういう違う意味で身勝手なドライバーなど公道上から排除してしまえ、という論理はわからないでもない しかし、それが煽って良い理由には全くならない そういうトロいドライバーを教育・指導するのは、その者に免許を与えた都道府県の公安委員会であり、決して我々他のドライバーではないのだ、そこを我々はまず勘違いしてはならない つまりは公安委員会の怠慢であるし、またそういうドライバーの存在を恣意的に許しているのも公安委員会なのだ 昨今の高齢者ドライバーによる相次ぐ事故の背景には、この公安委員会の怠慢によるものが大きい部分を占めていることは、論を俟たない しかし、そうした者たちを監視して選別し、剰え教育を施すというのは、現代の交通システムでは極めて困難であり、出来たとしてもせいぜい免許更新時に講習を受けさせるのが精一杯だろう ということは、現状では何をどうしても、そうしたトロいドライバーが一定数生産されるのは仕方のない話で、特に交通不便な地方などではヘタでも何でも免許を持ち車を運転することが求められる社会なので、なおさら仕方がないこととして受け容れるしか無いのだ 怒りの感情を制御できないままハンドルを握るバカどもそもそも論として、そんなトロいドライバーに進路塞がれてイライラするのは当然としても、 怒りを飲み込みこめずその場で爆発させるような感情の制御ができない奴は、ハンドルを握るべきではない その場で爆発させられないからこそ、ネット上では「煽られる方にも原因がある」という意見が跋扈するのだろう 私に言わせれば、そんな意見をネット上でも平気で表明できるやつは、押し並べて煽り運転予備軍であると断ぜざるを得ない、今すぐ免許返上しろ 上手いやつからヘタなやつ、初心ドライバーからベテランドライバー、若年ドライバーから高齢者ドライバー、原付からフェラーリに至るまで、色んな奴が運転し色んな車両が動いているのが公道という世界である、公安委員会から交付される免許には「そういう雑多な状況でも安全に車を運転できる能力と知識がある」とみなされたからこそ車の運転を「免」じ「許」されていることを、我々は今一度再認識しないといけない 流れに乗れない・乱すようなドライバーは公道から排除しよう、煽られても仕方がない、とするのは、これはもうイジメっ子の論理でしかない 子どもの世界である教育現場では未だにイジメ問題が駆逐できていないのに、大人の世界たる公道上でこうした問題が解決できるわけがない 子どもの世界にしろ大人の世界にしろ、流れに乗れない・空気読めない奴はいじめられて排除されても仕方がないという風潮は、どうしたら撲滅できるのだろう 相手が降りてきたらとりあえず殺せその上で、もし実際に煽られて停車までさせられしかも相手が降りてきたらどうすれば良いか簡単である、轢き殺せば良い この時決して逃げてはいけない(ひき逃げになるから) そして警察に「交通トラブルで車から引き摺り出されそうになって急発進させたら相手を轢き殺してしまった」と 恐らく一旦は逮捕・勾留されるだろうが、その後の裁判で「その場の危険から逃れるために車を発進させる以外の方法がなかった」と認定されれば晴れて無罪放免となる その判例がこのTweetに載っていたのでご参考に: https://t.co/ixJIAai6S3 いやただそれだけの話なんだけどね 例のデータ入力業務とか最近は記事原稿も書くようになったので、出先や乗務中の車の中ででも作業ができるように、振動に強いSSDの導入を決めましたのです クルーシャル製SATASSD、480GB、お値段6500円 安くなったもんだ 裏蓋を精密ドライバーで外し、HDを外す SSDに差し替えたら、あとはまた裏蓋を戻すだけ 有線でネットに繋いでSSDにmacOSHighSierraを新規インストール その後は外したHDを収めたHDケースからUSB経由でSSDにデータを移して終了 これでタブレットPC感覚で雑に持ち運べるようになった 車の振動などによるHDの損傷の恐れもも気にする必要なし 寿命がHDより劣るっていうのでバックアップだけはマメにやりたい あとクラウドの有効利用 Wi-Fiさえあれば出先でMac引っ叩けるっていうのが何より魅力よね♡ 大好きですラーメン 生ビールと一緒に掻き込むと最高☆ 画像は「青島食堂宮内本店」 横浜に住んでるので大抵は家系ラーメンになるのだが、あの味は無性に食いたくなる 画像は「町田商店仲町台店」 家系ラーメンは中々に奥が深く、どこの店も微妙に味が異なるので店巡りをしても楽しい 画像は「らっち家下川井店」 家系ラーメンにしては珍しく自家製麺+ごまを散らす 画像は「一二三家鴨居本店」 田舎の新潟は隠れたラーメン王国 最近になって色々脚光を浴びるようになっていてちょっとうれしい 冒頭の青島ラーメンも新潟長岡を代表する古くからのラーメン屋 同じく新潟柏崎にある「てっぺん」 あっさりした塩の香りが素晴らしい 暑い夏も脂肪肝も何のその みんなどんどんラーメンを食べようず いやね、「世界にバラ撒く金があるならそれをどうして私達に回さないのか」なんていう意見が、来週に迫った参議院選挙に向けて喧しく聞かれるようになったもんでね ちょいと一言呈したくて 資源なき国、日本まず、我が日本には資源がありませんそのため、世界各国から資源を買い漁る必要があります 何だ当たり前じゃないかとお思いのそこの貴方、違うんですよ 全然当たり前じゃないんですよこれが だって考えてみて下さい、そもそも極東のちっぽけな島国ごときが石油下さい・石炭下さい・鉄下さいって言ってみたところで、普通どこもネコババを恐れて売ってくれないんですよ いやカネならありますって言ったって、日本が発行できる通貨は「円」ですよね?その円に対して信用がなければ、誰も円と引き換えに資源売ってやろうなんて思うわけないんですよ じゃあ他の信用できる通貨を買えばいい? どうやって???? 何と引き換えに????? だから日本には資源がないと言ってるでしょ???? 本来ならそういう通貨すら買うこともままならないのが、日本という国の現実なのです それがどうして、カネをポンと出しさえすれば資源だけでなくモノもヒトも得られる国にまで登りつめることが出来たのか? 先述の通り、日本には資源がありません しかしそのかわり、器用な手先を必要とする高いレベルの工業技術があります 日本は資源を仕入れる代わりに、その資源を用いて世界が目を瞠るほどの高品質な工業製品を世界中に供給しているのです これを「加工貿易」というのは、多分小学校だか中学校だかの社会科の授業で教わるはずです しかしこれとて限界があります 海外がこれと同じ品質のモノを作り始めたら、真先に立ち行かなくなるからです そこで考えます、技術そのものを海外に売ることを もちろんただ売り付けるのでは反感を買うだけですし、そもそも売りに行けるだけの安全が保証されているかどうかもわからないので、まずは根回しが必要になりますよね? つまり、 諸外国に金をばらまくのは我々の生活を豊かにするためこれが、我が国がカネをバラ撒く理由の一つですぶっちゃけカネに勝る信用はない、豊かな国も貧乏な国も、カネだけは欲しい あんなに気前良くカネをくれる国なんてそうそうない しかしその御蔭で我が日本は、どこの土地でも概ね安全に足を踏み入れることが出来る こんな国、世界中探したってそうそうありませんどこの国行っても「日本人であること」を理由に入国拒否されたなんて聞きませんよね? 普通はどこの国も、得体の知れない国からの人間なんて入れたくありません 「だけど、あの日本からの人なら入れないわけにはいかない、どうぞどうぞ ( ´ー`)つ」 ・・・と、なるのです しかも「相手が日本である」という充分過ぎる理由だけで、相手はモノを売ってくれるようになる 石油も買えます、鉄も買えます、何ならウランも買えます、何でも買えます 日本とは反対に資源はあるのに技術がない国は、資源を世界中に売り捌かないと生きていけなくなりますから、こうして技術はあるのに資源の無い国日本に依存するようになるのです 我々が日本国内で、収入はピーピーながらも何とか様々なモノに、それも豊かに囲まれた生活を送れているのは、皆が忌み嫌っているこのカネのバラ撒きがあるからなのです 基礎講習の受講を完了しました 講習後の効果測定も全問正解 あとは来月末の本番を残すのみ 先だって購入してあった運行管理者試験問題集を乗務の間に解きまくってるけど、中々小難しい 特に労働基準法関連の問題が中々にヤバくて頭から煙が登ってる 道路運送法とか道路運送車両法とか道路交通法とか旅客自動車運送事業運輸規則とか、こういうのは、今まで現場出て乗務してきたことの言わば文章化したものだからそれほど難しくない あとは労働基準法、とにかく労働基準法 こいつを何とかしないとだ ぐぬぬ 追記:R1.08.26 8/25(日)に運行管理者試験を受験してきました 翌26日の公式HPで発表された解答速報での答え合わせの結果、どうやら30問中26問の正解を以て合格していることが確からしいことが判明しました 今月24日に正式な沙汰が出るので、それまでは努めて静かにしていたいと思います
以前の記事で「多分タクドラには戻らない」とか何とか書いた記憶があるけど結局戻ってしまいました
一度戦線から離れて元に戻る事を復帰と言うわけだけど、自分の場合一度復帰してまた戦線から離れ、その後また復帰したので「再復帰」と表現している ややこしいけど実際そうなのだから仕方ない 今回はいっそ正社員という身分を捨て、短時間勤務すなわちパート乗務員として、週に2〜3日・一日6時間程度を目安に様子を見ることになった というより、仕事を休んでいる間も、正社員でいる以上は当然社会保険料がかかるわけで、全く仕事せず無収入の身であった自分にはこれの支払いが正直キツかったのだった その上今年は車検があったり法事があったりで、金が入らないのに金ばかり飛んで行くという全く以て恨めしい限りであり、障害年金や傷病手当金を得ても到底足りないので、やむなくの再復帰と相成った次第 まあ出たら出たで、色々スイッチが入るのは確かだった あれだけ盛大に休んでいても実際運転席に座ればあれこれ思い出せるもので、頭というより体がもう覚えてしまっているのだなとつくづく感じる 早速ミドルも引き当てて正味一年のブランクがあったにしては悪くない滑り出しと言えよう ところでパートとして復帰するに当たり、一番面倒だったのは社会保険の諸々の切り替えであった 健康保険は協会けんぽから国民健康保険へ、厚生年金は国民年金へ、それぞれ切り替える必要があるのだが、これらは全て個人でやらなければならず、そのために会社から貰う書類が中々揃わなかったり、揃ってもアレが足りないだのココが抜けてるだの、それはそれは自分だけ大騒ぎしてまあ大変だった このうち、国民年金に関しては自分が障害厚生年金を受給中であることから「法定免除」、要するに一銭も払わなくて良いことになった 目下の問題は健康保険で、これが果たしていくらになるのかはこれからの計算を待つ必要があり、戦々恐々の日々である ともあれ、少なくとも来夏までの障害年金受給期間までは、出来るだけ身軽かつ適当にこなす所存 最近、「カスハラ(カスタマーハラスメント)」という新語が、我らが旅客運送業界どころか国内中を席巻する勢いで、大変喜ばしいことである 先日も北海道苫小牧で、「停車位置がずれていたから」という些細なことで、1000円ばかしの運賃を踏み倒したどころか運転手を殴り殺すというカスハラのお手本みたいなオキャクサマが逮捕されたばかり 相次ぐカスハラの横行に、とうとう天下の国営放送までもがカスハラ特集を組むという異例の事態になっている(→https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190527/k10011930781000.html) とりわけ、運転中は接客することが難しい我らが道路旅客運送業界でそれが際立って著しい 「運転が荒い!」「急に停まるな!」「もっと速く走れ!」 我々タクシーだとさらに 「いつもより高い!」「遠回りしただろ!「何でいつまでもゴミ収集車の後ろ走ってんだ!」 なども加わる そもそも乗客は如何にしてカスハラに至るのか? 一番多いきっかけは「運転が荒い」ことである 換言すれば運転が荒くなければ相手もカスハラしないわけである では我々もそれに対策をしよう 運転をマイルドにするのだ まずアクセルワーク: ・発進時はアクセルをじんわりと踏む ・ある程度速度が乗ったら一旦アクセルを軽く緩めて2速に自動変速 ・これを繰り返してとっとと4速=オーバードライブ状態に進段する ・そうすると少しの踏み込みでも高加速が得られエンジン音も静かになる ・つまり、ATといえどある程度は意識的に変速させる、ということ 巡航時: ・原則論として出来るだけブレーキは踏まない ・前の詰まり始めやカーブ・停止箇所など減速が必要な場面などではエンブレ ・急減速時は勿論ブレーキだが緩減速だけならエンブレのみで事足りる ・急なコーナーでもない限りアウト・イン・アウトで大抵抜けられる ・慣れてくると巡航時には本当にブレーキの出番が無いことに気づくはず ブレーキング時には: ・ブレーキング時の速度は「踏み加減の2乗に反比例する」と覚える ・踏み始めは多少強く、その後は徐々に踏む足から力を抜いていく ・最後完全に止める時に、とんっ、と軽く踏み足す程度でクルマは完全に停まる またハンドリング時にも: ・ハンドルを切って実際にその方向に向くまで約1秒ほどのタイムラグがある ・ということは、カーブやコーナーに差し掛かるより早くハンドルを切り始める必要が生じる ・カーブやコーナーから抜ける時は当然その逆になる ・つまりカーブやコーナーにかかってから(あるいは終わってから)では遅い またこれらを完璧に実現するためには: ・前の車の先の先の先の先を読む ・そのために、前走車輌のリヤガラスから通して見えるフロントガラスの景色を見る ・それが無理なら自ら少し右か左にずれて前方の状況を見通せる環境を作る ・出来れば「前の車がブレーキを踏むより先に自分がブレーキを踏んでやる」気持ちで 分母が多けりゃ分子も多くなる 客は常として多くのドライバーと接する機会が多い分、「そういうの」に遭遇する確率も当然上がるわけで、何回かの我慢を経てカスハラ化するのではないのかな、と私は見ている 一方我々は、ドライバー同士でお互いの運転技術を観察・体感する機会が殆ど存在しない 月に1回の社内講習会で簡単な注意事項を聞かされ安全運転だーとシュプレヒコールを挙げさせられて終わる程度のもの 普段の運転を根底から見直し、とりわけマイルドにすることで、カスハラの9割は撲滅できるカスハラがなくなれば我々の乗務環境は(給与面を除いても)飛躍的に向上するマイルドな運転は、カスハラへの最大の防衛策だ 逆に言えば、荒い運転はカスハラに格好の言質を与えることになる むざむざ敵にエサを投げ込む必要はない 明日からと言わず、今日から始めよう 唐突だが、隣の超大国・中国の真の恐ろしさについて語りたい それは、あの膨大な人口にある 現在は実に13億人だ 例えばどこかの国と1億人死ぬような戦争やったとする 計算上は12億人は残るが、あくまでも計算なので本当にここまで残るかはわからない それでも10億人は確実に残るであろう その間に相手国はどうしても人的にもモノ的にも限界を迎えて消耗することは避けられず、残った12億人からの猛反撃は必至で、疲弊一方の相手国はもう負けの一手しか残されていない つまり、今の中国を本気で潰すつもりなら、中国以外の全ての国総掛かりで、しかも全軍事力を傾けて潰しに行かないと到底ダメということだ 現状、中国以外の各国(もちろん日本含む)はてんでバラバラで自分の国の利益しか考えていないし、それらの国々を構成する人々もまた自分自身のことしか考えてない ということで、今の「中国には敵がいない」という、非常に恐ろしい事態に陥っている 今アメリカが、中国に対してあれやこれやイチャモンつけているのはその恐ろしさに気づいているからだと思うが、しかし今のアメリカに中国を軍事的に抑えようとする力もなければ意思もない あくまでも自国の利益に基づいて文句を言っているだけなので、実は大したことをやっていない かつての冷戦時代のような「世界の警察」と言う役割を、アメリカはとうの昔に放棄しているのである 翻って日本 残念ながら中国のそうした潜在的脅威に気づいてない、あるいは気づいていながらそれでも中国を持ち上げる勢力が、あまりにも多い 早速沖縄がその脅威に飲み込まれようとしているのに、当の沖縄の支配層たちは諸手を挙げて受け入れようとしている 古今東西、裏切者が侵略者に重用された歴史はない ところで、自民党が長期独裁云々と相も変わらず騒がれて久しいが、今の日本の状況を骨身に染みて良く知っているのは、皮肉にも長期に渡って独裁を敷いてきた自民党 その人である 故に中国は、表も裏も良く知り尽くしている自民党を恐れて忌避し、代わって長いこと政権を握れないで燻っている野党勢力に秋波を送っている わけだ 現に、先の民主党政権では、見事に彼らを傀儡に変えてしまったことは誰の目にも明らかだった 独裁=悪という図式が成立して長い時間が経過したが、必ずしも独裁は悪ではない
日本みたいに野党があまりにも無能なので結果として独裁に至ってる国もあれば、多民族国家ゆえに中々意見を集約出来ず内戦ばかり続くので仕方なく独裁せざるを得ない国もある 何故独裁が必要なのか、その理由は国の事情によって様々なので、一概に悪と断じることは危険な判断だと思う そして中国もまた多民族国家ゆえに、中国共産党国家指導部による超独裁体制国家 であることは広く知られている事実であろう その度合は自民党政権なんかのそれより遥かに独裁的で抑圧的で、例えば死刑なんてためらいもなく実に簡単に執行される 日本のアレな人たちが自民党を指してやれ独裁だなんだと騒いでるのが実に可愛く思えるくらい極めて苛烈なものなのだ そんな奴らが、あの13億人の頂点に君臨しているわけである これが脅威でなくて何であろうか 13億人を束ねられるんだから、あと1億2億増えたところで彼らには痛くも痒くもない 逆に戦争起こして1億2億死なせたところで時刻にはまだ10億人残る 彼らの人権意識なんて本当にこんなもの だから恐ろしいのだ 軽自動車隆成の時代である 今や国内で売れる自動車の半数近くが軽自動車だって言うからもうその勢いは誰もが知るところだろうってか知らん奴いるのかね? 2016年末時点での全国の自動車保有台数約7700万台に対し、軽自動車の占める割合はおよそ3000万台と4割近くだ 軽自動車の保有台数が一番多い都道府県は愛知県の約150万台とほぼぶっちぎりで、一番少ないのは鳥取県の約24万台(もっとも鳥取県は軽以外のいわゆる登録車の台数も21万台あまりと全国最下位なんだけど) 全台数あたりの保有率で並べると、約6割という高率を沖縄県がマークし、最下位は案の定東京都だった(それでも台数ベースで見ると、沖縄県の57万台に対して東京都は80万台と、実に1.4倍の開きがある) 以上、ウィキペディアよりw そんな軽自動車界隈だが、ここ最近はある異変が起きている いわゆるデザインナンバープレートというやつだ ラグビーだか五輪だか何だか知らんが、白無地のプレートに何やらごてごてした装飾を施し、これに従来の記号や番号を打ち込んだもので、最寄りの陸運事務所やカーディーラーなどで別途料金を払い込むことで交付される そもそも日本のナンバープレートでは、自家用は白無地・事業用は緑地、そして軽自動車は黄色地と決まっているのだが、デザインナンバープレートではこうした規定をあっさり飛び越えて、どんな車種や用途であろうと一律白無地となってしまっている 「デザイン」を謳う以上、その妨げとなるようなベース色はマズいということなのだろうが、早速あっちゃこっちゃで問題が起きているようで、例えばタクシーなんかだと見た目は確かにタクシーなのにナンバーだけが真っ白いもんだからすわ白タクかと間違われる事例がちらほらあるし、それを逆用して何と本物の白タクが登場したりと悲喜こもごもだ(ちなみに事業用デザインナンバープレートでは識別のためにプレート外周に沿って緑色の枠線が施されている) では我らが軽自動車はと言うと、これまた真っ白けなのである 軽自動車のアイデンティティはあの黄色いナンバーにこそあったはずなのに、だ 私自身としては黄色いナンバーは軽自動車ならではの特権だと思ってるので、わざわざカネ出してまでデザインナンバープレートに切り替えるつもりなどさらさら無いし、だいたいナンバー替えたって中身はそのまんまなんだから替えても意味がないし、そもそも面倒くさいと考えている ところが現実は多いのだ、真っ白いデザインナンバープレートに替えた軽自動車が 新車か中古車に関わらず恐らく軽自動車購入時に店の人に勧められるのだろうか?あるいは自分から言い出すのだろうか?とにかく増えているのだ、白ナンバーの軽自動車 軽自動車ユーザーの声としてこういうのがある 「黄色いナンバーがカッコ悪い」 は?( ꒪⌓꒪)何言っちゃってんのかねキミそりゃ買う前から判ってたことでしょうよ
それがイヤならばっさり普通乗用車を買えばいいじゃないですか 何ですかそのコンプレックス丸出しのくせに自意識過剰なソレは 普通車を維持するのはけっこう大変だ 税金も保険も、なんだったら燃料代も高速料金も高く感じる その点軽自動車なら全てが安くあがる 買った後のランニングコストが普通車と軽自動車とでは天と地ほどの差もある それと引き換えにしての黄色ナンバーだと心得なければならない なのにカッコ悪いからとわざわざ追加の金出して白ナンバーだ? 即刻軽自動車売りなさいお前に軽自動車を所有する資格無いわ人それぞれなんだから別にいいじゃん自由だろという声、私大嫌いです そんな事言ってたら軽自動車という規格が有名無実化するでしょ 自由だからこそ逆に軽自動車という黄色ナンバー有りきの規格を尊重しなければならない 自由だからって禁止されてないからって、そんなもん理由になりません 結局あなたたちは 「本当は普通車買いたいけど維持大変だから軽自動車でいいや」っていう動機でしか軽自動車を乗っていないんです、持っていないんですそんな腹づもりでハンドル握られる軽自動車の方こそ可愛そうです だからナンバーを黄色から白へ替えるような無神経なことが出来るんです 私は違いますよ? マザーテレサだったっけかな、確か 「思考に気をつけよ、それはいつか口に出るから」 とか何とか言ってたな 画像は関係ありそうで無関係な例 例によって単価の安い名刺入力のお仕事のお話 仕事上、色んな名刺を見ることになってるわけだが、その中にはなんじゃこりゃっていう変わった名前が記された名刺が結構あるので驚かされる しょっちゅう訊かれるのがいい加減うざいのだろう、最初っからフリガナ振ってるものもあったりで、いやはや自らの名前とは言え苦労が絶えないんだろうなと要らぬ思いを馳せつつキーボードを引っ叩いている 変わった名前、というからには、うむむと唸らされるものもあれば思わずぷっと吹き出してしまうようなものもあったり、まあ色々あるもんだなと思う 唸るだけならまだいいが、吹き出しそうになるような名前の名刺を実際に差し出された時、どれだけの人がそれを堪えることが出来るだろうか というか、絶対に堪えなければならない 人の名前で笑う、それは即ちその人の人格を嘲笑うことに等しいからだ 人名とは、この世に生まれた人が一番最初に得るべきものであるが、あいにくその選択肢までは与えられていない よって人は、好きと嫌いとに関わらずその付与された名前を携えさせられて、この娑婆世界を渡り歩かなければならない宿命を生まれながらに負っている なるほど後日役所に届け出れば一応戸籍上の改名は出来るが、それでも生まれて一番最初に付けられた名前は、終生に渡ってその人を縛る軛となって残り続けるのだ 言ってしまえば「自分ではどうすることもできない自分固有の識別番号」みたいなものを、たった一見されただけで笑い飛ばされたとしよう するとその人はどんな反応をするだろう? 自嘲か? 怒るか? それとも無視するか? 殆どの人がこれら3つのうち一つの反応を示すのではないだろうか? それが自嘲や無視ならまだいい、それらは諦めから来る反応だからだ 問題はそれが怒りであった時である なぜならこれは名前に対する「どうにかしたいのにどうにも出来ない」という鬱憤を、たったの一見で刺激されるからだ それは恰も、ぱんぱんに膨らみ切った風船を、ほんの数ミリの細い針で軽くでもつっつかれるようなものである そんな事したらどうなるか、もちろん勢い良く破裂することになるだろう 風船なら破裂して終わりだが、人間はそうはいかない そのエネルギー全てを破裂させた張本人にぶつけなければ贖われることは決して無い 罷り間違えば命だって奪いかねない 人の名前を笑う、それは実は命を賭けて行うべき愚行なのだ 大抵の人間はそれが判っているから、何とか寸前で留まろうとする 笑う方も、笑われる方もだ ところが、これが判らない人がいる 特に笑う方に顕著である 「思ってても口に出さなきゃいいんでしょ?」 そう、口に出さなければいい だけどここで冒頭のマザーテレサの諫言を思い出して欲しい 「思考に気をつけよ、それはいつか口に出るから」 普段からそういうナメた態度でいる輩がいる こういう輩は大概下らない理由で命を落としている 私個人的には、その理由の殆どは舌禍だと思っている そもそも何故舌禍が起きるのか どう控え目に考えても、常日頃からそういう発言に至りかねないような思考を抱いているからだとしか思えないのだ 「面白い人の名前を見聞きしてもそれは笑っても良い」 という危険な思考を この長文をどれだけの人が目にするか分からないがくれぐれも考え直して欲しい 下らない舌禍で命を落とす前に 人の名前で笑うのは絶対にやめたほうが良い |
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